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北欧神話「巨人の国」

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なし 北欧神話「巨人の国」

msg# 1.3.1.1.1.1.1.1.1.1.1.1.1.1.1.1.1.1.1.1.1.1.1.1.1.1.1.1.1.1.1.1.1.1.1.1.1.1.1
depth:
38
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿.1 | 投稿日時 2010-8-8 21:57 | 最終変更
hide  長老 居住地: 兵庫県  投稿数: 634
hideです。まだまだ暑い関西から、北極圏へゆく「オーロラ・フライト2010」の第2回・ノルウェーの旅日記をお届け致します。

 今回は、ノルウェーを最北端まで駆け上ります。森と湖、大小のフィヨルド、そして雪に覆われた荒れ野を、プロペラ単発のSTOL軽輸送機で渡ってゆくフライトになり、ブッシュ・パイロット(どこにでも降りる腕を持つ辺境飛行士)みたいな気分を味わいました。
 使用機は、ピラタスPC-6ターボ・ポーターと、デハビランドDHC3オッターです。PC-6は、私が常用機にしているPC7改の兄貴分に当たる、スイス・ピラタス社の出世作で、ヒマラヤの氷河から砂漠、極地などで輸送や救難飛行などに長年活躍している名機。またDHC3は、私が小学生のころ愛読した、ノルウェーの航空冒険小説「オッター32号機SOS」に登場する飛行機で、当時からどんな機体か大いに関心があったのですが、せいぜい外観写真しか見る機会がありませんでした。FlightGearのお陰で、今回初めて、コクピットのデザインや操縦時の視界などを、言わばパイロットの視点で味わうことが出来ました。また小説の舞台となったノルウェーの最果てを、仮想飛行することができたのは嬉しい限りです。
 では、コースをご紹介しましょう。

◎フレスランド・ベルゲン空港(ENBR)
   ▼15度96nm
◎サンデーン空港(ENSD)
   ▼0度44nm
◎ヴィグラ空港(ENAL)
   ▼32度353nm
◎Bodo Main Air Station(ENBO)
   ▼39度143nm
◎バルドフォス空港(ENDU)偏東6度。
   ▼88度97nm
◎コートケイノ空港(ENKA)
   ▼6度56nm
◎アルタ空港(ENAT)
 …以上、あまり馴染みのない地名ばかりで、申し訳ありません(^^;)。
出発地のベルゲン空港は、前回の旅日記でたどり着いた、ノルウェー南部の西の端に近い、大きな港町・観光都市の空港です。ここから先はしばらく、フィヨルドと山の旅になります。中継地のサンデーンというのは、山の中でフィヨルド2本が合流する、とても風光明媚な場所にある小飛行場です。その後、多島海に面したヴィグラを経て、ノルウェー空軍最大の基地Bodo(正しい読みは「ボーデ」らしい)までPC-6を使います。ここからはDHC3で飛び、さらに北のバルドフォスを経由して、前述の小説通りに、スカンジナビア最北端のフィンマルク地方を横断します。

●世界最大のフィヨルドをゆく:
 スカンジナビア半島というところは、西側のノルウェー領はフィヨルドが連なり、東側のスウェーデンやフィンランドは、湖や沼が非常にたくさんある地形だそうです。そのフィヨルドの中でも、ノルウェー最大にして世界2番目の規模のソグネ・フィヨルドを、まず訪問することにしました。
 旅の前半に使用したPC-6(以下ターボ・ポーター)のアウトラインを、ここでご紹介しておきます。
 【実機】
 1959年、レシプロ機として初飛行。その後550馬力のターボプロップに。全長10.9mとF6Fヘルキャット並みの規模ながら、貨物ですと1.2トン、旅客なら10人を運べます。主翼と尾翼は長方形、胴体断面も四角。広く踏ん張った脚に大きな低圧タイヤを履いた、頑丈が売りの機体です。このデザインを「醜い」と言う人もいますが、シンプルなシルエットと、とがった機首の組み合わせはなかなか精悍で、私は本機の造形を「四角い流線型」と呼びたいです。
 翼幅は15.9mあり、戦後の機体としては胴体に比べてかなり長く、いかにも翼面荷重が小さそうです。巡航速度は最大125Ktと遅いものの、STOL性能と高空性能に優れ、山岳機として活躍しました。ピラタス社のテストパイロットで、エベレスト飛行家のエミール・ウィックは1960年、本機でヒマラヤ・ダウラギリの氷河に登山支援のため42回着陸し、43回目に事故ったが徒歩で生還。標高19200ftの着陸高度世界記録も作りました。本機は米フェアチャイルド社のライセンス生産を含め900機以上が作られ、日本にも輸入されて昭和基地で活躍しています。ピラタス社のHPでは、患者輸送やスカイダイビング、測量用撮影・レーザー観測などのプラットフォームにも最適…と多機能ぶりをPR。最新モデルはグラス・コクピットで、美しい液晶画面を持っています。
 【FlightGearの機体】
 現行モデル(PC-6_20090930.zip)のパネルは、古びた丸形計器が並んでおり、それなりに味がありますが、航法計器はVOR-1とADFのみ。DMEが無いため事実上、VOR航法が出来ないのは残念です。一方で操縦性はよく熟成され、しっとりと安定して、飛ばしやすい機体です。またHelpに説明はありませんが、「walker」という機能があり、「o」キーで機長と同じ人形が機体前方に出現して、「w」キーで前進、「d」で右移動、「a」で左移動をします。マーシャラー(誘導員)ではなさそうで、用途が分かりませんが、面白いギミックです。ただし勝手なキーアサインのお陰で、本機は「a/A」キーによる倍速モードが使えません。私は長距離飛行に備えて、直ちにファイルから、aキーに関する記述を消してしまいました。

 UTC(協定世界時)の1136時、ベルゲンでターボ・ポーターを起動します。
燃料は1020Lbs(170gal)の満タン、エンジンはデフォルトで始動済み。プロペラはフル・フェザーのままアイドルしており、いかにも現代のターボプロップ機です。尾輪機ですので用心のため、上げ舵を取って滑走し、70Ktで安定したテイクオフ。この機体は、コクピット左右席とキャビンの左右カーゴドアを、メニュー操作で個別に取り外すことが出来るので、今回は全て外して飛んでみました。実際にこの状態で飛べるのかどうかは不明ですが、胴体の一部が素通しになり、空撮などには重宝しそうです。
 出発後は低空で、川の多い海岸平野を北へ40nmほど進んで、小高い丘を飛び越えたところ、眼下に大河の河口部のような、大きな細長い湾が姿を現しました。これが、ソグネ・フィヨルドです。
 フィヨルドは、氷河に削られたU字谷ですから、周囲の山々はアルプス並みに険しいと想像していました。ところが、意外に低くて険しくもなく、大きなリアス式海岸みたいです。ただし、リアス式はすぐ行き止まりになりますが、このフィヨルドは極めて奥深く、幅5キロくらいの湾が、大渓谷のように軽く蛇行しながら、約200キロ(一説には240キロ)も伸びており、非常に雄大な地形です。私は稜線とほぼ同じ2000ftの低空で、奥へ奥へと進み続けました。
 湾は次第に狭くなり、両脇の山々も険しさを増して、大河を遡る気分になりますが、水面は川ではなく、海水の湾ですので、当然どこまで行っても標高ゼロメートルのまま。なかなか風変わりな感覚でした。

●「巨人の国」ヨツンヘイム:
 …フィヨルドは、やがてどん詰まりとなり。谷川が始まって、これをさらに上流へ。谷は分岐と蛇行を重ねて約30nm北東へ伸び、ついにスカンジナビア半島最高峰の、ガルフピッゲン山に着きました。
 標高は2469mしかなくて、「栃木県の最高峰」白根山より少し低く、アルプスほどには険しくありません。とは言え北緯61度ですので、山肌のテクスチャーには雪が交じり、キリリと清澄なムードを漂わせています。地図によると、一帯はヨートゥンハイメン山地と呼ばれるそうで、日本でもお馴染みの北欧神話に登場する、巨人の国「ヨツンヘイム」って、ここなのかと感動しました。神話と実際の地名と、どちらが先なのか確認できませんが、神話のヨツンヘイムも、「高い山々と、あやしい谷々に覆われ」ているそうですので、語源は同じとみていいでしょう。
 山地の上空13000ftで、燃料の残量を調べると712Lbs(118gal)でした。燃費は3.1nm/galと好調で、まだ300nmは楽に飛べます。ここでGPSを参照し、針路を282度に取って、67nm先のサンデーンへ定針。1337時に上空へ到着しました。まだまだ飛べるので、さらに20分後ヴィクラ上空に到着。ここも美しい景色で、フィヨルドが山と海を織り交ぜた景観を作り、沖には平らな島々がたくさん散在して、中でも大きな細長い島に市街が広がっています。空港も島の一つにあり、風下へ旋回しながら、素晴らしい風景に見とれました。

 ターボ・ポーターは降下時、フラップなしでも空気抵抗が大きく、パワーアイドルで機首を20度下げても、気速が70ノットを超えません。プロペラ自体のブレーキ効果によるものだそうで、うかつにエンジンを絞りすぎないよう、確かHelpにも注意書きがありました。慣れればこの特性は便利で、アプローチ中の速度管理が容易です。63Ktで進入し、55Ktで接地して、うまくいくと50m程度で止まる着陸性能は、さすがにSTOL機。ただし機首が長い上に、尾輪式の割に地上姿勢が水平に近いので、ブレーキを掛け過ぎると、しばしば簡単にノーズオーバー(機首を接地する逆立ち)しますし、グラウンドループも発生します。普段はあまり、ピンポイントの接地や短距離停止にこだわらず、おおらかに操縦した方が、うまくいくようです。
 1143時、満タンにしてヴィクラを出発。GPS航法でBodo(以下ボーデ)へ。

 今度の航程は350nmくらいあるので、30000ftまで上昇。燃費は一気に7.17nm/galと、2倍以上に改善されまして、満タンの航続力は1200nmに届く勢いです。指示対気速度は88KIASに落ちていますが、真大気速度ですと150KTASくらいでしょう。Aキーで10倍速くらいにしても安定性がよく、オートパイロットで針路保持が可能です(機種によっては、ウイングレベラーを使わないと、自励振動を起こして、しばしば墜落するのですが)。
 ボーデには14時半ごろ到着。岬の先にある市街のそばに、1本だけ滑走路が見えます。3000m級ですが、空港としては小さい印象で、これが国内最大の空軍基地かと、ちょっと戸惑いました。主要施設は地下にあるのだそうですが。1435時、理想的な進入で接地。そして…軽いグラウンドループで停止(笑)。あちこち不満はありますが、今回はターボ・ポーターに慣れて、結構好きになりました。

●冷戦「スパイ機」の最前線基地:
 ボーデは冷戦中、NATO軍最北の空軍基地で、CIAが運用する高々度戦略偵察機・ロッキードU-2型機の、発着地の一つでした。U-2はトルコなどを離陸し、旧ソ連領の中枢部を撮影して、北欧へ脱出するわけです。本機が初めて撃墜されたのは、1960年5月1日のこと。有名なフランシス・ゲリー・パワーズ少佐が、パキスタンのペシャワールを離陸し、宇宙基地があるカザフスタン共和国・チュラタムなどを偵察し、ウラル工業地帯のスベルドロフスク付近で撃たれましたが、この飛行もボーデが着陸予定地だったそうです。
 U-2は非常にユニークな機体です。初飛行は1955年8月で、高度7万ftを1万キロ近く飛ぶために、胴体長15mに対して主翼は24mあって非常に細長く、いわばジェットエンジンの高々度モーターグライダーでした。開発者の1人であるベン・リッチが書いた「ステルス戦闘機 スカンク・ワークスの秘密」(講談社)によると、ソ連の迎撃機も対空ミサイルも、まだこの高度には届かず、U-2は約5年間にわたってソ連領内を自在に撮影。眼下にはしばしば、上昇しきれず失速する、多数のミグが見えたそうです。
 しかし、上昇限度ぎりぎりを巡航するのは非常に難しく、旋回中に内翼は速度が低すぎて失速し、外翼は過速で高速バフェット(異常振動)を起こす場面もあり、いずれも振動の性質が同じで判別が難しく、対応を間違えれば空中分解もあり得る、やっかいな飛行機でした。着陸時の事故なども、結構あったようです。

 アメリカは当時、U-2はあと1年は無事とみていたそうですが、ソ連のミサイル開発は思ったより早く、パワーズはこの日、ソ連防空部隊の待ち伏せに遭って、最新型のSA-2対空ミサイルを24発も「散弾銃のように」撃たれました。うち1発が、近くに迫ったミグに命中し、爆風でU-2の尾翼も吹っ飛んで、墜落に至ったのだそうです。迎撃機がいるのにミサイルを撃つとは、ソ連もよほど焦っていたのでしょう。(パワーズがパラシュートを目撃しており、ミグのパイロットも脱出できたようです)
 パワーズ撃墜には異説もあり、NHKが1974年8月11日(東京地域)に放映した、アメリカ製のドキュメンタリー番組は、「当時のソ連はU-2を撃墜できるミサイルを完成しておらず、ソ連スパイが基地に潜入して仕掛けた、時限爆弾で破壊された」と主張しました。しかし冷戦が終結し、多くの情報が公開されている現在、爆弾説はネットでも見あたりませんので、やはりSA-2ミサイルによる撃墜が真相だと思います。
 …現在のボーデは、ノルウェー空軍の主力機・F16の基地です。FlightGearのマップ上では、波乱の歴史をよそに、ここもベルゲンやヴィグラ同様、美しい海岸線を持つ、平和な一空港に過ぎません。

●「オッター32号機SOS」:
 ボーデからはDHC3に乗って、ノルウェーの最北部へ向かいます。ここでDHC3オッターと、冒頭に少しお話ししました小説「オッター32号機SOS」について、簡単にご紹介しましょう。
【実機】
 DHC3は、レシプロ600馬力。1953年に初飛行したデハビランド・カナダのSTOL多用途機で、北米などで僻地の旅客・貨物輸送に活躍しました。全長12.8m、全幅17.7mと、かなり大きな単発機で、実用上昇限界高度は17900ftしかありませんが、最高速は140Kt(諸説あり)でターボ・ポーターを少し上回ります。軽旅客機としては最大14席程度のようです。
【FlightGearの機体】
 最新版(dhc3_20091229.zip)は、ターボ・ポーターよりさらに操縦しやすく、50Ktで離陸し、パワーに応じて滑らかに機首を上下します。失速特性は良好で、クリーン状態では45Ktで機首が下がり、エレベータでは持ち上げられなくなりますが、少し機首が下がると直ちに回復し、失速と呼べるほどの挙動は起こしません。フルフラップでは、さらに減速しても機首が保持できますが、調子に乗ると40Ktあたりで翼端失速を起こし、自転します。ただし、すぐパワーを入れればリカバリー可能です。
 着陸も容易で、接地後に急ブレーキを掛けてもノーズオーバーせず、ラダーの利きがいいため、グラウンドループは、たいてい回避できます。車輪のほかフロートやスキー仕様、水陸両用型があり、後者は事実上「4車輪式」ですので、地上では一段と直進性に優れます。ロールスピードが遅いので、エルロンロールは苦手ですが不可能ではなく、宙返りも一応できます。8段階に動くフラップを操作すると、エルロンもやや少ない角度で一緒に降りる仕組みで、いかにもSTOL機ですね。
 コクピット視界は、星形空冷単発で機首が丸いため、計器盤中央が盛り上がっている分、正面が少し見にくいですが、サイド寄りはかなり良好です。機長席から振り向くと、キャビンには8席の客席があり、副操縦士と客席の視界も用意されています。副操縦士席は、機長より高めに視点が設定され、視界抜群で操縦しやすく、細かな気配りを感じます。飛ばしやすさと完成度は、ターボ・ポーターよりもやや上と感じます。航法計器がVOR-1とADFしかないのは同じで、パネル上部に小さなGPS液晶画面があり、なにやらモード表示が出ますが、まだ使い方が分かりません。操縦席とキャビンのドアは開閉可能です。

 「オッター32号機SOS」は、ノルウェー空軍の教官だったレイフ・ハムレが1957年に発表した、少年向けの雪上サバイバル教科書みたいな小説です。
 機長のゲイルは、ちょいと気むずかしい職人タイプ。副操縦士は、初めてオッターに乗るぺーテルという若者です。二人は急患を空輸するため、ノルウェー北東端のキルケネスという町へ向かいますが、北極圏(北緯66.6度以北)に属するフィンマルク地方の荒野を飛行中、エンジントラブルに遭い、パラシュート降下します。二人はブリザードの中、バラバラに着地してぺーテルは負傷。ゲイルは苦心してぺーテルを発見し、パラシュートの布とショックコード、ナイフ、レスキューキットのゴムボートとオール、付近の灌木を活用して、応急手当と小屋がけを行い、さらに非常食や固形燃料が尽きると「食用になるトナカイゴケ」を見つけ、墜落機から回収したエンジンオイルや空き缶で、ランプ兼調理用コンロを自作。やがて二人はライチョウを捕まえるわなや、凍った湖で魚を捕る網まで作り、深夜キャンプを包囲するオオカミからは、たき火で身を守り。やがて捜索機に発見され、救難ヘリがやってくる…という、まことに盛りだくさんな内容でした。
 専門家が書いた本だけに、小学生の私は、交信の手順やパラシュート降下中の感覚、着地の際の注意点などの、真に迫った記述にわくわくしました。いま思えば「正しいノウハウを知れば、不可能はない」「仲間は君を、絶対に見捨てない」というあたりがテーマでしょうが、最初はギクシャクしていた二人の人間関係が次第に変わっていく様子とか、小説的な要素も書き込まれていて、なかなか読ませる本でした。

●黄色いオッターを駆って、北へ:
 二人が出発した空軍基地がどこなのか、残念ながら忘れましたが、取りあえず作中で捜索の司令部になったボーデを離陸し、二人が給油したバルドフォスへ向かうことにします。
 この航程では水陸両用のオッターを選び、1059時(ローカル1259時)にエンジン始動。129度28Ktと強風が吹きまくっており、8000ftにscatterd、3000ftにFewの雲があり、ちょっと緊張気味です。しかしオッターの操縦席は、計器のデザインといい、Y字型の可動支柱の両側に設けられた操縦ハンドルといい、レトロな雰囲気のためか、最初から妙に居心地がいい感じでした。
 一応GPSをバルドフォスにセットしておいて、実際はADFを使い、ボーデのNDBのアウトバウンド方位を使って北上し、15分後に9000ftまで上昇。レシプロエンジンなので、混合比やピッチを調整すべきですが、この程度の高度では、あまりマニフォルド圧が変化しません。地図版Atlas(私はFlightGearに連動しないバッチファイルも用意して、Atlasを単なる航空図代わりにも使えるようにしています)で最寄りのNDBを調べながら、1224時ごろバルドフォス上空に到着。ほぼ予想通りの所要時間でした。
 フロート付きの機体は、いささか挙動が重いですが、空気抵抗が大きい分、エンジンを絞ると敏感に減速・降下し、アプローチが楽です。フロートからギアを出し、フルフラップで滑走路の風下を通過。右へ270度旋回して、着地点を目指します。降下速度も、旋回角速度も遅いので、コクピット・ビューのカメラ角度を、実際に首を回すように、ゆっくりと移動させ、リアルな視界を楽しんでアプローチしました。

 バルドフォスは軍民共用の空港で、8000ft滑走路が小さな盆地に、すっぽり収まったような地形です。ここからは、マップデータを冬景色に切り替え、機体もスキー仕様を選択。小説のオッターはキルケネスまで行かず、途中で墜落しているので、私も中間あたりにある、コートケイノという小飛行場で変針して、ほぼ真北にあるノルウェー北岸のアルタ空港へ向かいます。小説中では、この空港の管制塔がゲイルのメイデイに応答したのですが、かなり有名らしいアルタ・フィヨルドも見たくて、ここを目的地としました。

 風が291度8Ktと微風になり、スキー仕様機は、スティックを引きつけた状態で、50Ktでふんわり離陸。比較的平らな、ちょっとだけ丘陵混じりの平らな大地が続き、どこまでも湖が、たくさん点在しています。まさに小説の通りで、「なーるほど、これがフィンマルク地方なのか」とつぶやきながら、厚い雲が切れ切れに立ちこめる中を9000ftで巡航。機長席と副操席の視点を切り替えながら、小説中のゲイルやぺーテルの視界を想像しました。ふと思いついて、コクピットのドアを開けて外を見ると、操縦席から後方に翼下面の支柱が見え、実機でベイルアウトする際には、これに体をぶつけないか、気になるだろうと思いました。
 そうか! 小説では最初にぺーテルが、副操縦席側のドアを投棄して降下するのですが、このシーンには、「ゲイルは機体を少し右に傾けて、ぺーテルが脱出しやすいようにした」という描写があったのを、数十年ぶりに思い出しました。これはたぶん、支柱を避けるためだったのですね。フライトシムで、この種の「現場検証」が可能になったのは、まったく嬉しいことです。
 コートケイノで変針し、一路アルタへ。計器は110KIASですが強い追い風となり、internal propertiesで対地速度を調べると、145Ktをマークしていました。

●ティルピッツを監視せよ!:
 低空に降りて山地を越えてゆくと、もやの中に突然、海面が広がり。入り江の向こうにはさらに、雪をかぶった尾根が見えます。スカンジナビア半島もそろそろ北端に近い一角に、ヒトデのような形の、縦横30nm近くある湾が広がっていまして、これがアルタ・フィヨルドです。
 ここは大戦中、連合軍に追われて活躍の場を失った、ドイツ戦艦ティルピッツが、英空軍の目を逃れるため転々と居場所を変えたあげく、最後に潜伏して撃沈された場所です。その空爆作戦には、さほど興味はなかったのですが、小学生時代に(子供向けバージョンを)愛読した、トール・ヘイエルダール博士の「コン・ティキ号探検記」の完全版(ちくま文庫)を読み返したところ、乗組員の1人が大戦中、このアルタ・フィヨルドで活躍したことが分かり、興味を持ちました。

 博士が「ポリネシア人の祖先は南米人」という仮説を証明するため、大戦直後の1947年、古代のイカダを復元し、ペルーからマルケサス諸島へ南太平洋を横断した実験航海は、皆さんもご存じのことと思います。前述の「探検記」は、若い情熱と創意工夫、上質なユーモアを満載した読み物ですが、航海には素人だった6人の乗組員が、自動装置に一切頼らず、いかに自分たちの頭脳と筋力を、見事に活用して海を渡ったか、つくづく感心します。波をかぶりながら重い梶棒を押して操舵し、六分儀の天測と手計算で位置を出し、そして通信は、乾電池で真空管を作動させる、出力わずか6ワットの電信機が頼りでした。
 無線電信は、モールス符号の習得が大変ですが、原理的にはデジタル通信ですから、極めてノイズに強く、アンテナとオペレーターが優秀なら、すごい威力を発揮します。コン・ティキ号の無線係、クヌート・ハウグランドとトルステイン・ロービーは、低出力の送信機を上手に使い、電波状態のいい時は、地球の裏のノルウェーとも交信しました。二人は実は本職で、大戦中は通信隊に従軍し、ヘイエルダール博士の戦友でした。3人は特殊作戦のための訓練を受け、クヌートは重水製造阻止作戦に参加。トルステインはアルタ・フィヨルドに潜伏して、10カ月にわたってティルピッツを観察し、ドイツ軍のアンテナに夜間、こっそり自分の送信機を接続するという、大胆不敵な方法で詳細な報告を続け、撃沈に寄与したそうです。さすがはバイキングの子孫…とでも言うほかないですね。
 放射状に入り江が広がるアルタ・フィヨルドには、両側の山が比較的高く適度に狭い、戦艦が隠れたくなりそうな入り江が2、3本ありますが、戦時中の写真と比べても、位置を特定するには至りませんでした。しかし、荒涼とした凍て付く景色の中に、無線機と拳銃、そして熱い心をしっかり抱いて、潜伏していた若者のシルエットが、何となく想像できまして。私は満足して、黄色いオッターをアルタに降ろしました。

 ノルウェーはどこを飛んでも美しく、この国が生んだ音楽家・グリーグの「ピアノ協奏曲1番」の華やかで清澄なメロディーが、いつも頭の中で鳴っているような気分でした。少々ブックレビューみたいな「旅日記」になりましが、次回はいよいよ北極圏の航法について考えたり、実験ができればと思っております。
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