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Re: 手探り航法・旅日記

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通常 Re: 手探り航法・旅日記

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depth:
84
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿.1 | 投稿日時 2007-10-26 13:03
hide  長老 居住地: 兵庫県  投稿数: 650
hideです。
 私の世界一周は、いよいよヨーロッパへ入ります。まずカイロ国際空港から、いったんヨルダンへ引き返しまして、前回うっかり見残した、標高で世界最下点の死海(湖面は海抜マイナス405m)を見物。地中海・クレタ島経由で、アテネを経てギリシャを横断し、イタリア南部のタラントまで進出します。

 アテネと言えば私の場合、英国の作家で、元戦闘機パイロットのロアルド・ダールが、20倍の敵機と戦って生き延びたエピソードを思い出します。またタラントはイタリアの軍港で、英海軍が第二次大戦初期に空襲し、史上初めて航空機が、実戦で戦艦を沈めた場所ですね。のちほど、このお話にも触れます。
 では、フライトプランをご紹介しましょう。

■死海とパルテノン神殿、タラント湾を行く■
マップデータ:e010n30
       e010n40
       e020n30
       e030n30
・起動時のリアルウエザー風向風速
9000ft 110度 11.7Kt
6000ft 100度 10.6Kt
3000ft 90度  9.7Kt
・雲量
5882ft Scattered 雲の厚さ600ft
(●印は、磁気偏差と風向風速を修正した針路・対地速度)

◎カイロ空港(VOR 112.50)N30.09.06-E31.25.26 偏東3度
     ▼71度216nm●69度240.7kt
◎I Bar Yohuda空港LLMZ(VOR115.0)-1266feet(海抜下386m)
 N31.19.51-E35.23.26 偏東3度
     ▼
△ヨルダンの死海
     ▼344度33nm●343度253Kt
◎エルサレム空港OJJR(NDB336)N31.51.47-E35.12.58 偏東3度
     ▼297度20nm●294度259Kt
◎テルアビブ Ben Gulion空港(VOR 113.50)
 N32.00.47-E34.52.30 偏東3度
     ▼292度523nm●290度259Kt
◎クレタ島Iraklion空港LGIR(VOR 108.80 NDB 431)
N35.20.25-E25.11.07 偏東3度
     ▼339度166nm●338度243Kt
◎アテネElefterios Venizelos空港LGAV(VOR 117.50)
 N37.55.03-E23.56.16 偏東3度
     ▼297度304nm●295度249Kt
★Lecce(レッチェ)VOR 112.80 N40.14.49-E18.07.51 偏東2度
     ▼295度37nm●294度249Kt
◎タラントGrottaglle空港LIBG(VOR 116.80)偏東2度
(全行程1299nm)

●世界で一番低い空港は、(多分)ここだ!!:
 カイロ国際空港の、23Rでエンジンを始動。
FlightGearを起動してみたら、リアルウエザーでは追い風でしたが、滑走路が長いので、このまま飛ぶことにしました。手早く風向風速の補正計算を済ませ、カイロ国際空港と死海のほとり、I Bar Yohuda空港のVOR周波数を打ち込んで、テイクオフ。今日は巡航速度を、普段の240Ktではなく、試験的に250Ktに上げ、燃費向上のため、なるべく低空を飛びます。

 離陸後、3000ftに上昇しながら6nm進んで右反転、空港VORの直上で、死海に向けて定針しました。このくらいの低空ですと、実はVORから50nmも離れますと、早くもDMEが受信不能になります。ただし私の航法では、かなり精密に針路計算をしていますので、実際はコンパスに頼る推測航法がメインです。VORは補助的に使うだけですので、出発時と到着時に受信できれば大丈夫です。
 3倍速に加速し、スエズ運河を越え、シナイ半島をぐんぐん横断。最後に標高3000ftくらいの、なだらかな山地を飛び越すと、行く手の大地がみるみる沈み込んで、青い湖面が広がりました。死海です。

 ここは、東のアラビア半島と、西のパレスチナ(つまりイスラエル)を二つに割る、幅約20キロの大渓谷の一部です。渓谷は、実はマントル対流の上昇点に出来た、地球規模の割れ目…大地溝帯の一部分です。割れ目は、死海から南に延びて紅海となり、アフリカ東部のエチオピアから、さらに3000キロ南下して、タンザニアのタンガニーカ湖に及びます。このアフリカ部分の割れ目は、有名な「グレート・リフト・バレー」で、アフリカ大陸は遠い将来、ここから東西に分断されてしまうのだそうです。
 (となると。イスラエルとアラブ諸国も、将来は海で隔てられるのでしょうか。多少は平和になるのか、或いはパレスチナ難民問題がもっと深刻化するのか、迷うところですね)

 …そう思って見ますと、死海の両岸、特に西岸は切り立った崖になっており。いかにも「大地の割れ目」を感じさせます。水面に向かってぐんぐん降下すると、パネルの高度計はゼロで止まり、HUD右端の高度計はマイナス領域に突入。−1000ftで目盛りを振り切って、空白になりました。いやぁ…感動的な眺めですね(^^)/。
 (世界第2の低地、中国トルファン盆地では先日、パネルの高度計も水面下を指しました。今回、ゼロで止まった理由は謎です)

 死海西岸にある、I Bar Yohuda空港に着陸。ネットで公開されている空港一覧によりますと、ここは標高マイナス1266f(海抜下386m)です。少なくともFlightGearの世界では、死海湖畔に他の空港はなく、ここが世界で一番低い空港と言えそうです。
 すぐに離陸し、再び湖面近くを飛んだ後、3000ftに向けて上昇開始。高度計がゼロ付近でも、しばらくは眼下に山並みが見えて、とても奇妙な気分でした。

●西欧の揺りかご・ギリシャを行く:
 砂漠っぽい荒れ地を飛んで、聖地エルサレムを通過。パレスチナからギリシャに掛けては、古代史で名高い地名がどっさりあって、まるで世界史版の「京都・奈良」です。寄り道するときりがないので、さっさと地中海に出て、約500nmかなたのクレタ島へ向かいます。

 ブロンコは低空で燃費がいいため、2500ftを飛んだのですが、低空の方がオートパイロットの安定がよく、ピッチング対策なしに4倍速も可能でした。途中、DMEの不感地帯に入った時点で、本来ならキプロスやアフリカ北岸のVORを受信すべきですが、面倒なのでVORは切ってしまい、推測航法でクレタ島を目指しました。Atlas画面も隠して航法精度を試したところ、洋上を523nm飛んで、ほぼピタリ、目標VORの2.1nm北を通りました。
 今回はパソコンも快調で、飛行直前の再起動時にページファイルを初期化する設定が、うまく働いているようです。

 クレタ島は、砂地の海岸平野から、予想外に険しい山々が立ち上がり、急に上昇を強いられます。この呼吸は、大戦中のイギリス雷撃機(複葉のソードフィッシュ)パイロットが手記に書いていた通りで、ちょっと共感を覚えました。禿げ山と農地が入り交じる、面白い風景が続きます。(クノッソス宮殿って、どこ?)
 針路をアテネに転じて、エーゲ海を横断。絶えず周囲に島が見え、やがて緑の大地が足元に滑り込み、立派な国際空港が広がっていました。アテネ市街地は、西の山を越えた向こう側です。

●ロアルド・ダールの「アテネの戦い」:
 山を越えると、三方を禿げ山風の峰々に囲まれ、南に美しい湾が広がる、アテネ市街地に出ました。低空で旋回すると、小さな四角い白点が見えまして、「あれは、もしや」と急降下してみると、嬉しいことに3Dモデルで、パルテノン神殿が再現されていました。私の好きな英国作家、ロアルド・ダールも大戦中の青春時代、ハリケーン戦闘機の風防越しに、これと同じ光景を見たはずです。

 ここで少々、R・ダールのご紹介を。ダールはパブリックスクールを卒業後、シェル石油に入社し、冒険を求めてアフリカ駐在員になりました。第二次大戦の勃発直後、ケニアで英空軍に志願。戦闘機隊員としてアフリカや、ギリシャなどを転戦しました。
 当時はドイツ空軍が圧倒的に優勢で、ギリシャ国内にいた英戦闘機はダールの部隊の、わずか十数機だけでした。交代で、たった1機がパトロールに出て、ドイツ機に遭えば果敢に空戦を挑み、しばしば未帰還になるという、厳しい消耗戦の毎日。ダールは最初の出撃で、ドルニエ爆撃機を追い回し、見事に撃墜しています。
 ある日、たまには編隊飛行で存在を誇示し、市民を激励しようと、ダールの部隊は12機でアテネ上空を旋回。たまたまドイツ空軍の戦闘機200機あまりが来襲して、大激戦となりました。「自分が撃った弾丸がどうなったか、誰も確認できない乱戦だった」と彼は書いており、ハリケーンは確か4機が未帰還となったものの、20機以上のドイツ機を撃墜しました。

 宮崎駿監督の「紅の豚」には、戦死した大勢のパイロットを乗せた、無数の飛行機が天国を目指し、銀河のように大空を渡って行く、幻想的なシーンがありますね。あの場面の元になったのは…ご存じかと思いますが…ダールが書いた「彼らは年をとらない」という短編。「飛行士たちの話」という、素晴らしい航空小説短編集に収められています。

 いたずらや体罰満載の学校生活を、イラスト入りで描いた自伝「少年」や、冒険に満ちたアフリカ駐在生活と、多くの戦争体験をつづった自伝「単独飛行」もお勧めです。いずれも細かな人間観察力と、冷静だが優しいユーモアにあふれ、読み出したら止まらない、非常に楽しい作品に仕上がっています。
 (彼は初任地リビアでは、赴任基地の位置を誤って教えられ、燃料切れで砂漠に不時着・転覆し、炎上する機体から重傷を負って脱出しています。この体験は「単独飛行」に紹介されたほか、戦後に作家デビュー作の短編となり、「飛行士たちの話」にも入っています。焼死寸前のパニックを、非常にユーモラスな文体で描いているのですが、これは体の自由が利かない恐怖を、とことんリアルに捉えた描写でもあって、ぞっとすると同時に、彼の文学的才能に驚かされます)

     ○

 …アテネ上空を旋回中、補助タンクの燃料が切れて、パネル右の赤い警告灯がつきました。機内タンクに切り替え、針路をイタリア南部のLecce(レッチェ)VORに向けます。
 アテネから、7000ftで中央ギリシャの山脈を通過。ギリシャの印象は、総じて「低いが険しく、メリハリの利いた山々。海に突入する骨太の岬、美しい海岸線と多島海」と言った感じです。西洋文明って、ルーツをたどれば、こんな風土から生まれたのですねえ。
 高度を30000ftに下げ、島が点在するイオニア海を横断。約2000ポンドしかない、機内タンクの燃料計が、徐々に減って半分を指したころ、イタリアの大地が見えました。

●気分はもう雷撃機? タラント湾に進入:
 イタリアの「長靴のかかと」を越え、土踏まずに当たる、タラント湾に出ます。ブロンコ改はタラント郊外の、Grottaglle空港VORを目指しているのですが、計器の動きが変で、どうも別の場所を指しています。周波数を打ち間違えたわけでもなく、局地的なバグの可能性がありますが、天気がよくて幸いでした。
 タラントの港は、半円形の小さな湾になっており、これが「マール・グランデ」と呼ばれる外港です。ごく狭い水道を経て、さらに陸側に、ひょうたん型の狭い内港「マール・ピッコロ」が広がっています。

     ○

 1940年11月、この外港に停泊中のイタリア戦艦6隻、内港の巡洋艦4隻と駆逐艦17隻を、英空母「イラストリアス」搭載のソードフィッシュ雷撃機が襲いました。第1波12機、第2波9機の夜間雷撃・爆撃によって、戦艦3隻が浸水して着底。英軍の損害は2機でした。日本海軍が1年後、雷撃を主体にして真珠湾を攻撃したのは、この空襲がヒントになったとされています。

 殊勲のソードフィッシュは、よく知られる通り、時代遅れのオープン3座複葉機で、雷撃のほか爆撃、偵察、着弾観測、ロケット弾攻撃、機雷敷設まで行う欲張った設計。あんまり装備が多種多様なので、ストリングバッグ(買い物袋)のあだ名があります。1トン近い魚雷を積むと、巡航速度はセスナより遅い90Ktです。
 従って、ほとんど夜間作戦に使われたのですが、頑丈な飛行機で操縦性がよく、名著「雷撃」(朝日ソノラマ文庫)を書いた元パイロット、チャールズ・ラムによりますと、戦闘機に追われれば急減速して、不意に竿立ちになって射弾を外し、海面すれすれに逃げることも可能でした。彼はこの手で、イタリア戦闘機2機を海に突っ込ませています。

 空母への着艦も容易なようで、時代錯誤的な機体ながら、パイロットに評判がよく、大戦後半にはレーダーまで積んで、ますます夜戦が得意になり、1940年代まで生産されました。英軍には、他にロクな雷撃機がなかった、という事情もありますが…要は、機体の性質をよく理解して、上手に使いこなしたのですね。ラムは、密かにドイツ軍占領地に着陸し、スパイを送迎する任務にも就いています。(そして2度目に、降りた乾湖の表面が破れて泥に突っ込み、捕虜になりました)

     ○

 …FlightGearのタラント湾にも、ひょうたん型の内港がありますが、外港への水路は狭いためか、省略されていました。しかし、どんな地形なのかは確認できて、おおいに満足でした。
 試しにソードフィッシュの速度まで、減速しようと思いましたが、ブロンコですと、フラップ無しに90Ktで飛ぶなんて無理です。110Ktでも宙吊り同然の低速に感じられ、これで海陸から撃ちまくられたら、生きた心地はしなかったでしょうね。

 内港を飛び越え、(VORが狂っているので)空港を探し回り、約10Ktの横風のなかを慎重にアプローチして、そっと右脚からスムーズに着陸。無給油で約1300nmを乗り切り、やっとヨーロッパ到着です(^^)/。
 次回は、スイス方面に向かうつもりです。
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